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好きに書いています

今日のお隣さん

カフェで、隣のカップル、30代夫婦だろうか。
妻が頻繁に話しかけてるが、夫は終始スマホをいじり顔を上げない。

「今日湯豆腐にしようか」
「……」
「来週の予定は?」
「……」
妻は目を閉じて寝始めた。

そういえば、夫の方は自分の飲み物だけ買って先に座ってたな。
妻はパーマの取れかかった半端な髪型、古い型のスーツ。夫は小洒落たジャケット。

また目を見て話し始めた。
「ねえ、どう思う?」
笑いかけている。
「ねえ!」
壊れたらどうしよう!と緊張したわ。

けど「出ようか」と夫が言い、素直に従う彼女であった。
小山田小説を生で見てるようだった。

『家族喰い』

買ったはいいけどしばらく置いといた本。買おうと決断しても、すぐに読みたいのとそうじゃないのがある。不思議だけど。それで何故昨日急に一気に読んでしまったかわからない。珍しく家族揃っていたからかな。

家族喰い――尼崎連続変死事件の真相

家族喰い――尼崎連続変死事件の真相


親族同士で殺人を繰り返し、主犯があっさり刑務所で自殺した、とにかく特集異常な事件、では片付けられないことが突き付けられて苦しい。
擬似家族を次々作り、名前を次々変え、親族の関係を利用して金を巻き上げ続けた美代子のルーツは、親や家族に恵まれなかったことなのか。
そして文中何度も出てくる、被害者や周囲が警察に駆け込んでも親族間のことだから「民事不介入」で相手にされなかったというのは、家族の意味をぼんやり甘くゆるく捉えてる、もしかしたら今の日本の最大の盲点なのでは。

家族なんだからひどいことするわけない、につけ込める隙があるのなら、家族は助け合うべき、と憲法に盛り込もうとしてるこの国は、とんだ平和ボケかとやはり思う。

コピペではないスピーチ

中学校卒業式に行ってきた。

前書いたみたいに付属中の卒業式だから形だけ、と思ってたけど(上の子のときはそんな気がしたので)、予想外によかった。ごくオーソドックスな式だけど、やっぱり卒業式自体がいいのかも。自分も、自分の子のも、何度も何度も節目にこれがあって、それらが蘇ってくるからか。
卒業生が、混合名簿順に入ってきたのに、座った時は男女分かれててどうしてだろう、と思ってたら最後の合唱のための、パートごとの並びだった。混成四部合唱の「大地讃頌」とか、ずるいわーぐっとくるわー。
 
ひいき目かもしれないけど、卒業生のあいさつが、自分のことばで語っていたのがよかった。入学したのが大震災1ヶ月後。不安を抱えていたなか余震もあり緊張のスタートだったとか。「個人的なことだけど」と前置きして悩んでいた時期毎日先生に毒を吐いて救われたとか。かと思えば先生に贈る言葉に「どうもお疲れさまでした」となぜか上から目線で切り出し、ずっとそのトーンで通して爆笑を誘ったりとか、きかせるスピーチだった。いわゆるひな形のコピペじゃなく、自分の体験から話してるんだな、と。
最後みんなで「学園天国」歌ってたけど、ほんとに天国だったのかもね。よかったね。
 
あまり深く考えてなかったので服も手持ちのもので、あんまりフォーマルすぎるのも違うかと思い、あと卒業式は予想以上に寒いという経験上、スーツではなくパールもせず、ギャルソンのぶわっとしたスカートにかなり厚手のノーカラージャケットの中に長袖Tを着込み、雑貨屋の閉店セールで買ったビーズのネックレスをつけた。ストッキングくらい新しいの買うか、と前日SEIYU閉店間際に急いで買ったのが、ラメっぽいグレーのつもりが思ったより白くて、足下だけ見たら80年代かゴスロリか、みたいになっちゃったけど時間なくてそのまま駆け込んだら、みなさんわりとスーツ...コサージュとかつけてらっしゃる...。白いジャケットにしなくてよかった。
しかし黒スーツが多く生徒も黒い制服だから全体的にダークなトーンで、お祝い感が若干薄い気がした。次は多分ほんとに最後だから、ちょっと何か考えようって気になったわ。
 
 
 
 

お洒落な女装

電車の中で、前に立っていた人のバッグがかわいくて思わずじーっと見てた。
アニヤ・ハインドマーチの、たぶんわりと古いラインのショルダーを斜め掛けで後ろに回してたからまじまじ見てると、ついファッションも目に入る。
大きい柄の、ジャケットなのかコートなのか複雑な形の上物に、膝下丈のスカート、厚手のタイツにクラシックなかんじの革靴。降りるときに網棚から下ろしたマリメッコの布バッグにはマフラーなのかざっくりしたニットが見えた。見過ぎですね!
いいかんじのモード感のその人は、すらっと背が高く、男性だった。
わりと女装の人よく見るけど、たぶん男性から見て女性っぽい、つまり女の子ファッション、逆に言えば自分の好きなもの着たい今どきの女子があんまり着ないだろう服、という印象だった。でも今日のその人は、女装的じゃなくて普通に真似したいみたいなお洒落だった。モテ系ではなく、個性的で女子受けしそうな。
男性目線はあんまり気にしてないということなのか。とすると、男性に好かれたいわけではない?女装ってそもそも女になりたいということ?それとも女性の服装が好きということなのか。
どっちでもいいけど、お洒落したいな、という気になったファッションが見れてよかった。

小中時代と、卒業のことなど

先週、小学校時代の友人3人で食事した。何年ぶりよ、20年? 途切れ途切れの年賀状からメール、そしてFacebookになって、それでも2年くらいかけてようやく集まった。人生は長い。

しかし1人がアート関係で、個展の案内をくれてたのがひとつきっかけだった。個展のハガキって久しぶりの連絡に相応しいツールだと思ったわ。
 
久しぶりすぎて近況報告も相当さかのぼることになったが、みんな色々経験してきてるから何を聞いてもあまり驚かなくなってきたけど、とりあえずみんな独立して経営する立場にいて、福祉、アート、出版とバラバラながら微妙にリンクする部分もあったのが面白い。特に依存するものがない、という共通点は意外と心地よかった。
一番社会派で「私はバブルの恩恵受けなかった!」という彼女が今では最も資産を有していて、「だからその時代にでっかい施設をローン組んで作れたのがバブルだったんだってば!」と突っ込んで笑える同世代。
だけど大人になっても、小学校時代への担任への嫌悪感とか、暗黒時代だった中学生活とかはっきり蘇ってくるのにも驚くけど、酒飲みばなしにしてウサはらすというのもまた大人ってことにしておこう。
 
色々イタいこともあった小中時代だったなと思ってたら、自分の子は中学が楽し過ぎて卒業したくないんだと。そりゃ幸せで羨ましいわ。てか、そのまま高校上がるとこだから卒業って大げさなものなのか?と思ったけど、ちゃんと卒業式があり、そのあとにPTA主催の祝う会があり、さらにその後、何かと不安な高校生活を語る会を親の有志でやるとかって連絡が来た。どんだけ心配なんすか。ほっといてやればー、と思うのだった。
 
(追記)
と思ったら、人数が集まらなくて中止になったんだって、その不安を語る会。よかったよー、そんな熱心じゃない親が多くて。
ちなみに卒業式なのに毛玉だらけのソックスしかないので、さすがに1足、しかもワンポイントついたちょっと高いやつを買うくらいには親馬鹿なのである。
 
 

『フード左翼とフード右翼』

これもKindleで。

女性同士、仕事の打合せとか食事にいくとオーガニック、野菜系の店になることが多い。ものすごく多い。これは東京で仕事してる大人の女、という特殊な状態だから?いや、地方に行ってもそういう店に案内されることは増えてる。新しくできたかんじのいいカフェ、というとだいたいオーガニック的な何かはある、と感じる、全国どこでも。
なので、このタイトルは気になったと同時に、少し前のかんじがした。

著者は『ケータイ小説的』以来、切り口とタイトルが抜群にいいですよね。タイトルだけで中身がものすごくピンと来る、『ラーメンと愛国』も『1995年』も。
というわけで『ケータイ〜』以外は読んでおらず、これもなんとなく想像できる気がしたけど読んでみた。だいたい想像通りだった。政治思想と結びつかせるというのは新しくみえるけど、有機=上流、先端的、知的、ファストフード=下流、大衆と、だいたい言われているくくりではある。

著者が取材を重ねて、食べ歩いてだんだんフード左翼的になってきたけど、今のままでは広がらないと考えるのも納得できる。だけどその解決方法は、遺伝子組み換えしかない!というのにえええーっと驚いたわ。それまでせっかく足で取材して、いろいろ発見していたのに、急にその結論に、文献1冊くらいの根拠からですか、と。
遺伝子組み換え反対のお父さんに、生物学専攻の院卒のいとこと一緒に説得を試みたけどだめだった、とあったけど、そこは素直に面白かった。そういうのを読ませてくれれば十分、と思う。

『ツ、イ、ラ、ク』

kindleの角川セールで購入。

 

ツ、イ、ラ、ク (角川文庫)

ツ、イ、ラ、ク (角川文庫)

 
 
完全な食わずぎらいで未読だったけど、一気に読んだ。さすがですね、すみません、というかんじ。
 
小中学生の些細なエピソードとか面白いし、恋愛が段々盛り上がってくるかんじもいい。
けど最後がロマンチックすぎるのと、主人公の女子中学生の家の環境が、ややひっかかった。複雑にしても、そんなに子どもをほっておく?みたいな。
 
あと、タイトルが好きじゃない。それで読んでなかったですね、多分。
表紙もやだな。kindleだと表紙ほぼ見ないから、装丁で手が出なかった本読むにはいいかもね。