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わたしたちに許された特別な時間の終わり


チェルフィッシュ、岡田利規の小説集。
第2回大江健三郎賞受賞作。
受賞作だから、というわけではないが、いやあるが、気になってはいたので購入、即読了。
戯曲を元にした「三月の5日間」と、初の書き下ろし小説「わたしの場所の複数」収録。


「三月の5日間」。
イラク空爆が始まる頃、フリーターらしき男の子が偶然知ったクラブの反戦イベントに行き、そこで見かけた女の子とそのまま渋谷のラブホテルに行き、四泊五日を過ごす、という話。たぶん、「イラク戦争」「ニュースも見ず下界とシャットアウト」「ラブホでひたすらセックス」というモチーフや、その状況下の若者のリアリティ、が注目されるところなのだろう。が、私は、視点の切り替わりに、興奮した。
酔っ払ってハイになってる男、その中のひとりが映画の券を売ったウザい女、また元の男、イベントに出ている人々、ナンパした女、そして男、女・・・と、予告なく視点人物が入れ替わる。ごく自然に、それぞれに必然があるように。不穏です。
これは芝居だからなのだろうか。でも、劇作家の人の小説でも、こんな印象は初めて受けた。今日たまたま仕事先で読んだ松尾スズキの文章、なんかとても安心しましたもん。


「わたしの場所の複数」は、それがもっとはなはだしい。フリーター夫婦の、一応妻が主人公のようだが、瞬時に夫、母、ブログを書いてる人、などがカットバック、というのでもなく、それぞれ語られ始める。そりゃ、人々が生活しているうえで、誰が主人公なんてないわけだし、それぞれの人生、それぞれの言い分がある、というのをイヤというほど気づかされる。


ああ新しい表現はあるんだなあ、と思うのでした。
チェルフィッシュの舞台、見たいです。


わたしたちに許された特別な時間の終わり

わたしたちに許された特別な時間の終わり