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好きに書いています

「風立ちぬ」とグルスキー

見終わってだいぶ経つけど、なんとなく共通するものを感じたもの。

「風立ちぬ」は、私はジブリ作品としても映画としても大好きだった。忘れないようにtwitterでこんなこと書いてた

庵野監督の声も最初驚いたけど、好きなことに邁進する二郎と段々シンクロしてきて、ラスト様々なものが去来して感情が一気に揺さぶられる場面はぐっときた

確かに最初はもうどうしようと思いました。けど、なんだろう、世間ずれか、ちょっ浮世離れか 、そういう人として途中からなじんできたかんじ?「どこと戦争するんだろう」みたいなセリフとか

説明の少ない場面転換、全体的にーんとしてるところ、夢シーンとか、ヨーロッパ映画見てる感じだった

関東大震災の映像なんて見たことないのに何か体験してしまったかんじで、アニメ凄いなと。主人公年取らなすぎ、とは後から思いましたw 

 

あと、初めて実在の人物をモデルにしたというけど、映画は全くもってフィクション。夢の世界と頻繁に交錯するし。教室での喫煙とか、戦争礼賛とか、その一部分だけを取り出して云々言うことのなんとつまらないことよ。

それになぜこの映画が「風立ちぬ」なのか。ノンフィクションだったら別にわざわざ小説を絡めることないし、かといって小説の映画化でもない。堀辰雄というと結核、軽井沢、究極の純愛、みたいなイメージで、「風立ちぬ」はちゃんと読んだことなかった。映画を見ても正直理解できないところもあり、帰りに早速買って読んだら、ようやく納得できた。というか、「生きねば」というテーマを、本当に実感できた。生きる、ということが今よりもはるかに大変だった時代。それをふたつのモチーフから描くって、創作って凄いことだなと思う。

で、グルスキーですが、国立新美術館の展覧会に行ったわけです。

アンドレアス・グルスキー展

自然や群衆や商業施設や、超広角で撮っているような写真は、実は現実だけではない。作り込まれているのだけれど、「作られたもの」を見ているかんじではない。何か脳内で感じている景色が再現されているような、そんな不思議な感覚で巨大な作品を見た。

それが、「風立ちぬ」で、見たことも感じたこともないはずの関東大震災のシーンについ落ち着かなくなり、たびたび登場する風の吹く場面に息苦しくなったりすることと、近いのではないかな、と思ったわけです。